368 尊良親王と恒良親王・敦賀の金崎城
哀れに写る。 浄霊師簡単プロフィール
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福井県に来た、有名な気比神社をお参りし、海べりから山
に入った霊能者、宗優子と浄霊師、神島剣二郎は静寂の中
で幼くして政争の犠牲になり散っていった幼い皇子の声を
聞いた気がして瞠目した。兵庫県、湊川にも霊能者と浄霊師
はロケで行っていた。簡単に南北朝の戦い、金崎城のことを
書くと、
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天皇が南北朝に別れ、北朝の足利尊氏に南朝が兵庫県の
湊川で敗れると、南朝方の後醍醐天皇は福井県、敦賀にある
気比神宮の収入を軍資金にと、あてにして、新田義貞や皇子
の尊良親王(15歳)と恒良親王(14歳)をおびただしい数の武将
と共に金崎に下向させた。金崎山は三方が海に面していた。
断崖絶壁にあった金崎城は難攻不落だったが、足利方の
高師泰らに取り囲まれ、籠城する羽目になった。六ヶ月の
籠城、彼らを助け、足利方を倒そうという新天皇、恒良親王
の綸旨にも全国から援軍の兵力は集らず、おびただしい
武将や馬の籠城している城内では愛馬や戦死者をも食べ
つくす状態となり、尊良親王らは城内で自刃、ひそかに船
で逃げた恒良親王(南朝の新天皇・14歳)は捕らわれ、京都
で毒殺された。
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いつもがら、霊能者の写真はどこにも霊の気配が
あり浄霊師、神島もごっくん、つばを飲み込む。
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